大水害の思い出

2000年9月14日
名古屋方面は水害で大変なことになっているらしい。
100年に一度とか。水害慣れしてない土地のせいもあるのだろうか、NEWSで見る人々の顔には憔悴の色がみられる。死者を9人出し、電気の復旧だけでもまだ6日はかかるという。

私が15歳の7月、私の住んでいた町も「100年に一度」といわれる水害にみまわれた。

その年の春、私は15年住んだ市から隣の市へ移り住んでいた。その日、姉夫婦がその町から我が家へ遊びに来ていた。
外は雨。だんだんに大きく轟々とうなる雨音をききながら、皆でTVを見ていた夕方。
臨時NEWSの文字で画面が切り替わると、そこは見たこともないような量の水・水・水。

夏ともなれば、台風やなにやらで水害が必ず起きる土地柄なので、少しくらいの浸水は慣れていた。しかし、画面のそれは既に尋常ではない様子だった。水が、立っている人の頭まで届きそうだ。それに、その日は台風など来ていない。ただの、梅雨の終わりの雨のはずだった。家族は画面に釘づけになった。
親類や知り合いが今、その町にいるのだ。もちろん、TVを見ていても何も出来るはずもない。

翌朝から被害が続々と知らされた。結果的には死者は300人。信じられない数。その中に友人や中学の先生もいた。時間にしてみれば短い水害だったようだが、その短い時間に、水はみんなを押し流していった。

しかし復興は早かった。あっというまに街は元にもどっていった。
観光地だからということも理由にあったかもしれない。死んだ人の分までがんばろうという人たちの気持ちもあったのかもしれない。どんな理由にしろ、すごいエネルギーだと思った。生きていくための、大事な力だと思った。

今朝、NEWSをみながら、そんなことを思い出していた。

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