大家さんに私の風邪が知られて、夕飯の足しにと煮物をいただいた。
その折、カラスが全部落としてしまわないうちに、まだ熟してないのもあるけど、柿を収穫してしまいたいとの相談が。
たしかに、熟れゴロのものからカラスがつつきに来るので、私も(人のモノながら)気が気じゃなかったのだ。二つ返事でお手伝いOK。週末は柿の木と格闘だ。雨がふらなきゃ…なのだが。

柿の木、大家さんのモノなのだが、なにしろ我が家の縁側から見て真正面、まん中にそのお姿を拝見できるので、借景とはいえ家族のようなもの。目の前に木があるってのはいいものだ。
家族っていうのは好むと好まざるとにかかわらず、たとえ血のつながりがなくとも似てくることってあると思うのだけど、それは家とか、庭とか、そういうものにも言えるのではないかな、と思う。

大家さんはとても可愛らしくいい方で…どちらかといえば、お嬢さんぽいイメージで、70も過ぎなのに、それを感じさせない方でもある。

もちろん、そりゃ大変な場面にも沢山出会ってきたろうと思う…何しろあの原爆の惨状を、直に見た人だもの。私は子の世代だから、伝聞でしか知らないけれど、それでもどんなにそれが恐ろしい光景だったか知らされている。原爆の土地に生まれた子なら、皆知ってる程度の事柄は。
でも実際に、男も女も判別出来ないほどの状態になって死んでゆく人を、この目でみたわけではない。
この方は、でもそういうことを全部みたのだ。それでも、こんなに穏やかにやさしくなれる。いや、絶望という光景を見たからこそ、今を明るく生きることの大切さを、きっと知っているのだ。

庭の柿の木は、大家さんに似ている。どこがどうというわけではないけど。朝になれば朝日をきらきらと受けて、美しい。
大家さんの名前は笑子さんという。笑顔の可愛らしい人。名前はそのまま、その人そのものとなっているようだ。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索