かつて映画がもたらしてくれたもの
2000年11月17日週末になると徹夜になるという生活なのである。
今日も朝4時半まで仕事場にいて、5時に家に着いた。タクシー代4500円ちょっと。割に合わない気がする…。
たとえ朝方であっても風呂に入らず寝るのは非常に気持ちが悪いので風呂を沸かす。その間、そんな時間には普段全然見ないTVをみていた。
テレビ東京で映画。なんだか安っぽい作りのスペクタクル? みんななんだか演技がおざなり。
TV欄でタイトルを確認すると『英雄スパルタカスの復讐』とある。
英雄なのに復讐。そこで一気に英雄から英雄気どりに転落模様。まあ映画自体もきっとそんな感じ。最後の15分しか見れなかったけど。
あとで調べてみると似たタイトルで『スパルタカスの復讐』ってのもあるのだが全然違う映画らしい。ただ制作年は1964と1965で1年しか違わない。
どっちにしろ名作『スパルタカス』(キューブリック監督 ドルトン・トランボ脚本/1960) 以降なので、ヒット映画にあやかったB級作品なのだろうなー。
名匠キューブリックについては今更だからおいとくとして、トランボといえばまず思い出されるのが『ジョニーは戦場へ行った』、これにつきる。
私が子供の頃は、TVで映画をよく観た。映画の番組も多かったし、ローカル局で独自に組んでくれるプログラムにも良質のものが多かった。その頃、『ジョニーは戦場へ行った』を観た。
恐ろしいほど衝撃的だったが、目を離すことができないほどにまた引き込まれた。静かな静かな心理描写と絶望の独白と容赦ない現実の風景が折り重なって、逃げ出すことの出来ない檻(病院)の中にいるしかない男を描き出していく。
現実はモノクロの画面で、夢の中(ジョニーの心の中)はカラーなのだが、その対比が残酷なまでに美しい。
でもこれはあまりにも強烈な反戦メッセージをこめているので、アメリカではいまだに上映禁止の州が多いそうなのだ。アメリカという国は、戦争なしには存在がありえないのだろうか。
今でも場面を思い出すごとに、胸が苦しくなる。でも、決して忘れることは出来ない、忘れたくない、そういう映画だった。
最近、そういう衝撃をもたらす映画には巡り合っていないな…と思う。
今日も朝4時半まで仕事場にいて、5時に家に着いた。タクシー代4500円ちょっと。割に合わない気がする…。
たとえ朝方であっても風呂に入らず寝るのは非常に気持ちが悪いので風呂を沸かす。その間、そんな時間には普段全然見ないTVをみていた。
テレビ東京で映画。なんだか安っぽい作りのスペクタクル? みんななんだか演技がおざなり。
TV欄でタイトルを確認すると『英雄スパルタカスの復讐』とある。
英雄なのに復讐。そこで一気に英雄から英雄気どりに転落模様。まあ映画自体もきっとそんな感じ。最後の15分しか見れなかったけど。
あとで調べてみると似たタイトルで『スパルタカスの復讐』ってのもあるのだが全然違う映画らしい。ただ制作年は1964と1965で1年しか違わない。
どっちにしろ名作『スパルタカス』(キューブリック監督 ドルトン・トランボ脚本/1960) 以降なので、ヒット映画にあやかったB級作品なのだろうなー。
名匠キューブリックについては今更だからおいとくとして、トランボといえばまず思い出されるのが『ジョニーは戦場へ行った』、これにつきる。
私が子供の頃は、TVで映画をよく観た。映画の番組も多かったし、ローカル局で独自に組んでくれるプログラムにも良質のものが多かった。その頃、『ジョニーは戦場へ行った』を観た。
恐ろしいほど衝撃的だったが、目を離すことができないほどにまた引き込まれた。静かな静かな心理描写と絶望の独白と容赦ない現実の風景が折り重なって、逃げ出すことの出来ない檻(病院)の中にいるしかない男を描き出していく。
現実はモノクロの画面で、夢の中(ジョニーの心の中)はカラーなのだが、その対比が残酷なまでに美しい。
でもこれはあまりにも強烈な反戦メッセージをこめているので、アメリカではいまだに上映禁止の州が多いそうなのだ。アメリカという国は、戦争なしには存在がありえないのだろうか。
今でも場面を思い出すごとに、胸が苦しくなる。でも、決して忘れることは出来ない、忘れたくない、そういう映画だった。
最近、そういう衝撃をもたらす映画には巡り合っていないな…と思う。
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